people 先輩インタビュー
一棟一棟に全力を注ぎ、ひたむきに“いいものをつくる”。
代表取締役 道下 幸治
地元の府中市で、父がはじめた「道下組」。
1956年に、私の父である道下忠男が「道下組」を創業しました。その7年後に私は生まれ、物心ついた頃には、両親とも忙しそうにしていた記憶があります。父は職人(大工)で、口数が少なく寡黙な人でしたが、周りからは「真面目な人だ」と評判だったそうです。
子どもの頃は、野球少年でした。
そんななか、私は小・中と野球に没頭していました。わりと活発でスポーツも好きなタイプだったと思います。
小学校の時から意識していた「建築」の仕事。
小学校の時に、有名な建築家・清家清がテレビCMで「違いのわかる男」というキャッチフレーズで出ていたのを見て、「建築家ってかっこいい!」と感じ、「僕も建築家になりたい」と、卒業文集にも書いたと思います。
高校2年生の時に一念発起し、大学を目指すことに。
とはいえ、将来のことはあまり考えていなくて。専門学校に行って「建築」を学ぼうかと思っていましたが、高2になるとまわりが大学受験を意識しはじめたので、僕も大学を目指そうと考えました。当時は数学は苦手で文系だったため、理系に変更して勉強をはじめました。
大学時代は、正直嫌気が差した時期もありました。
大阪の大学で、建築学科に入ることができましたが、当時は「建築学科とは何か」ということはあまりわかっていなかったんです。微分や積分、数列などの一般教養や、図面をおこす専門課程があり、それが結構大変で。留年する学生も多くて、私も「なんでこんな学科選んだんや」と嫌気が差した時もありました。
建築家たちの本を読みあさり、刺激をもらう毎日。
3年の終わり頃、建築家が書いている本を読みあさり、そこから刺激をもらったり、「建築業界ってこうなっているのか…」と知ることができました。じゃあ自分は業界のどの職域を目指すのか?と考えるようになりました。
二度アタックして採用してもらった設計事務所。
時はバブル前の景気低迷期。デベロッパー、ゼネコンなど、いろいろな選択肢がある中でも、私は大阪の小さな設計事務所へ面接に行くことにしました。所長さんに、家が工務店をやっているから「設計事務所と工務店は違うぞ」と最初は断られました。でも、ここで学びたいという思いが強くあって、もう一度面接をお願いしたら、「働いてみるか!」と採用していただきました。
バブル真っ只中の大阪で、建築設計を楽しむ日々。
入社してから1.2年で、バブルに突入。仕事も忙しく、クライアントからくる仕事はコスト重視ではなく「とにかくいいものをつくってくれ」という時代でした。良い建築を目指して起こした図面がスムーズに通る時代で、とても楽しかった。オフィスビルやリゾート施設などを手がけていました。
父から初めて言われた「手伝ってくれんか」。
毎日が充実していて、20代後半に差し掛かろうとしていたとき、初めて父親から「こっちに帰って手伝ってくれんか」と言われました。最初は反発しました。大阪での仕事は面白かったし、まだまだ経験したかった。何度か話し合いを重ねて、26歳の頃に戻ってくることになりました。
帰ってきて早々、先代が入院することに。
帰ってきて3ヶ月で先代が入院することになり、その時が一番大変でした。スタッフの力を借りながら、なんとか乗り越えることができたと思います。現場に出たり営業に回ったりといろいろな業務を任され、かなり鍛えられました。
「自分がやるしかない」そんな思いでした。
入退院を繰り返し、2年ほど経った頃、先代が亡くなりました。当時の社員さんは全員年上だったのですが、なんとか残ってくれて、皆さんの意向を汲みながら無我夢中でやっていたことが、今に繋がっているのかなと思います。
先代が積み上げてきたものを守っていかなければいけない。
技術者として歩んできたので、経営学や帝王学とかは学んだことはなかった。でも、外に出ていろいろなお客さまに会うたび、「真面目にきちっと仕事をしてくれる人だった」と先代の評判を聞くようになりました。これを守っていくのが自分の務めだと。道下はそのままでいいんだと思うようになりました。
大阪時代に教わった「建築のおもしろさ」。
設計事務所の所長から、建築において大切にするべきところ、クライアントとの接し方、時代に合わせる部分、細部にまでこだわるところなど、建築との向き合い方を教えてもらったように思います。社長になってから今でも、大阪時代の経験は活かされていると思います。
うちは、社員大工が途切れたことがないんです。
社員で大工がいてくれることはとてもありがたいことです。弊社の基準やものづくりに対する思いなどを理解してくれている。今も若い世代が、道下が継承してきた技術を学びたいと入ってきてくれることもすごく嬉しいことです。
一棟一棟に全力を注ぎ、「いいものをつくる」。
次の世代に伝えたいこと。
世の中の変化は激しいものです。数字を追っかけると、ろくなことにならない。「年間●棟建てよう!」という数字的な目標ではなく、受注した建物に全力を注いで、お客さまに評価いただく。これを積み重ねていきたいです。
歴史とともに信頼を守っていく。
先代から引き継いだとき、すでに道下の歴史は30年ありました。帰ってきた当時、30年なりの歴史と信頼がこの地域に確かにあり、「歴史ってすごいな」と。府中市、福山市という狭いエリアだけど、今ある知名度を守りながら、さらに高めていくという思いで、日々仕事をしていきたいと思っています。